URI Quintet中国遠征2回目

翌日の11月20日第一回目の興行のため午後3時にリハーサルに入る。英語が流暢で明るい性格のマスターは、前日の夜にはステージにあったグランドピアノを我々の編成では必要ないために人海戦術を持って分解し梱包して店の外に搬出してくれた。これもまた日本では考えられないことだ。
前日の深夜にまたまた寝不足状態で山野修作と話し合った演出をリハーサルで再現してゆく。基本的にはパワーとダイナミックスで押そうということにして、2ステージのそれぞれの始めと最後をアップテンポとし、他の曲も8ビートをメインとしたファンク系とする。バラードの選曲は無しで4ビートのミディアムはジャズ好きのスポンサーさんのため1曲入れることとする。ジャズのコンサートにしてはかなり偏った選曲になったが、暴力的にうるさい店の中であると言うことや、ポップスやロックが現地で流行していることを鑑みてそれで決定した。MCはサックスの吉岡さんに英語でやってもらうように頼んだほか、ドラムには派手さとシャープさを指示し、ベースの音をかなり大きめにしてロック系のようなバランスをつくり、僕も普段は使わないちょっと小さめのマウスピースで鋭い音にしてアンサンブルを作った。
それから和食を振舞ってくれると言う日本人の方のマンションに招待される。1ヶ月1万円ほどの給料で家事のすべてをやってくれるという中国人家政婦さんの日本料理を食べながら、現地で景観設計などに携わる鈴木氏、長島氏に興味深い話を伺う。当初心配だった日本人への風当たりとかも何とか大丈夫だと言うことが判って一安心。それからステージでの通訳をしてくれることになる陽気で気さくなコウさん(漢字は「口」の下に「天」)にもここで出会う。
午後9時に会場に入ると既に席は満席で、店舗の収容人数を軽く越える200名以上の観客。しかし予想通りものすごい喧騒。
定刻の9時半から予定通りの曲目を着々と演奏してゆく、やはり予想通り音量とスピード感でゴリ押しして何とか聴いてくれている感じだが、ステージ周りと2階席は明らかにちゃんと聴いているので演出の成功を感じる。(店の奥では大声出してサイコロで遊んでる人も沢山いる・・)しかし明らかに音響の問題だけではなく、バンドのアンサンブルとプレイがどうも上手くいかない部分が多い。また1曲だけあったスローテンポの4ビートの曲になると明らかに聴いていない人が多い。以前、音楽教室の仕事で幼稚園などの子供の前で何度もブラスアンサンブルを演奏したが、その時のようなストレートな反応が感じられた。
つまり面白いと大きな拍手があり興味を引けないと反応がないと言うもので技巧的である事やジャズらしさよりむしろ音楽と言うパフォーマンスにおける面白さが重要であるといった感じだろう。
何とか2ステージを終えて客席の顔見知りの方に挨拶していると、日本語を話す人達のグループが目に入った。聞くと上海に留学している学生や杭州で生活している人達らしい。その中に居た杭州で発行されている日本語の月刊誌「HANGZHOU NAVI」の記者である大搗(おおつき)さんと知り合う。彼女は一見育ちのよさそうな品の良い才女に見えて、ひとり杭州に暮らし、日本人は誰も運転したがらないカオスな交通事情の中を電動バイクを操り取材をする25才の女傑だ。中国各地はおろか標高5000メートルのチベット仏教の聖地ラサまで行ったことがあると言うので非常に驚いた。(道中標高7000メートル程度まで上がるため、さすがに高山病になったとか・・)彼女は住環境や生活習慣の違いなど興味深い話をいろいろ聞かせてくれた。女傑と言えば運転手兼通訳の農さんも来春に結婚するという彼女「李」さんを紹介してくれた。大変な美人で驚いたが聞くと中国の女性は家事をしない事が多らしく子育ても炊事も一般的に男性が担当するらしい。喧嘩となると道端でも男女で殴り合いで、しかも女性も負けてないらしい。まあそれが普通らしいので苦でもないのだろうが国が違うと、男女や家庭のあり方も違うのだなと気の毒に思ったり感心したりした。
ひとつ驚いたのは、今までの経験で僕は中国人は感情を普段あまり表現しないと思っていたのが、そうではないと言うことだ。これまでに会ってきた中国人の知人は話すときに笑顔を見せることが少なく、ポーカーフェイスでむしろいつも怒ってる様にすら感じる。つまり表情から感情が読み取れないのだ、しかし店で出会った人たちは談笑するにしろ、笑うにしろ、何かを主張するにしろ本当に感情的なのだ。つまり普段は笑わないと言うより日本人のほうが普段から愛想笑いをし過ぎているんだという風に感じた。感情的で表現がストレートであると言うことは日本の道徳的な感覚では「子供っぽい」という風にマイナスイメージなのだが、こういう中に居てそれを肌で感じると、それが人間の人間らしさという本質に近いと言うことを思い知らされ、感情を「忍耐」や「節度」といった日本的道徳の鎧で武装せねば社会生活を営めない我々が惨めですらあると感じる。
そういう事を感じつつ、僕は明日の演出について新たな作戦を考えていた。ひとつはパフォーマンスとダイナミックスを更に上げること。加えて「キチンとジャズを奏する」ことだ。具体的にはやはりバラードをきちんと聴かせたいし、逆に聴かせられなければジャズミュージシャンのはしくれとしてココに来た僕は負けであると感じたのだ。(またまたつづく・・)