URI Quintet中国遠征3回目

中国浙江省杭州市のツアー3日目。今日で最後となる2回目のライブの為に現場入りしたのは予定を30分ほど過ぎた4時半ごろ。
心なしかメンバーも皆無口で黙々とセッティングを行う。夕べ遅くに山野修作と話し合った演奏曲目を発表してリハーサルを始める。昨日より若干シンプルな曲目に変更しつつミディアムスローの4ビートは無くし、代わりにファンク系の曲を入れる。またセカンドステージの1曲目にはブルースをやるようにしたが、リハーサル時の思いつきで僕が客席に乱入して一人で吹きながら動き回わり店の2階席まで行くという、普段なら絶対にやらない演出を盛り込んだ。
何事もそうであるように沢山のことを同時にやろうとすれば失敗する可能性は大きくなる。それなら音楽的にはともかく徹底的にパフォーマンスしようと言う考え方で演出を組み立てた。その代わり前日に考えたように当初は予定してなかったバラードを譜面無しの一発でトロンボーンとテナーサックスの各1曲づつ行うようにする。この部分が博打になると思ったが、やらないで悔いを残すよりやろうという思いが一歩出てリーダーの特権である「鶴の一声」で決定する。
開演30分前までホテルで安静にして徒歩で会場入りすると、日曜日だからか昨日よりちょっと客足が鈍い。とはいえほぼ満席には違いない。
前日も来てくれた数人の日本人の方々、自宅に招待してくれた鈴木氏、長島氏といった日系企業関係者、今回のツアーで最もお世話になった倉永氏夫妻もステージ正面に陣取っている。
何故か昨夜以上のプレッシャーと妙な責任感を感じながら店の隅で楽器ケースを空けると店員の女の子がそっと近寄ってきた。ケースの中にあるトロンボーン「S.E.Shires」のベル(朝顔の部分)に顔を寄せ、そこに綺麗に刻印された手彫りの彫刻をスッーと指で触れてじっと眺めているのでマウスピースを手渡し、吹き方を教えると顔を赤くして必死で息を入れる。今度はマウスピースを楽器につけて渡すと首を横に振りカタコトの英語で「Working now」と言う。そうこうしていると店のマネージャーなのかちょっと怖そうな姉さんが来て、結局その子は怒られてしまった。
貨幣価値が日本の1/8ほどという中国の都市部だが、若者が普通に働いて得られる賃金は日本の一般的な所得の10分の1以下という事も少なく無く、農村部へ行けばそれは更に10分の1になるらしいと聞いた。中国国内製の楽器がいくら安いといってもやはり入門用の管楽器ですら彼らの数か月分の給与から数年分の給与となる。音楽の普及や演奏家の質が所得に比例しているのは悲しいことだが、演奏して楽しむ音楽が一般に浸透していると言えない現状で、誰もが音楽家を目指せるような豊かな社会に、果たして彼女の子供の世代くらいにはなるのだろうか?彼女は暫く遠めに楽器を見つめて、そして促されて仕事に戻った。
やがてステージが始まる。昨夜と違う点は店内の喧騒が僅かに少なく、ちゃんと聴いてくれているといった感じか・・。
ライブの両日共に聴いてくれて、2日目は編集長である大沢氏まで連れて来てくれた日本語雑誌「HANGZHOU NAVI」の大搗女史が、後日感想のメールをくれたので一部引用する。

中国人の反応は本当にダイレクトなので、私は何か日本人のイベントがあるたび、同じ日本人として少々緊張してしまうのですが、今回は、自分も本当に楽しめたと同時に、こんな素敵なものは杭州の人は聞いたことがないだろうな、と思っていたので、気を遣わないダイレクトな中国人の反応に嬉しく思いました。
やっぱり音楽は国境を超えるなぁ、ということを実感しました。
次は中国人のバンドとのセッションが聞けることを期待しています。
〜中略〜
中国のお客さんの様子をつねにうかがっていたんですけど、入ってきた瞬間に立ち止まる人や、録音しようとする子、ずっと席も立たずに聴こうとする人、のりのりのビアガール等々、やっぱり、私がどれだけ中国語をしゃべっても、できなかったりすることが音楽は簡単にできてしまう、と思います。

僕の印象としては結果として2日目のほうが思い通りの演出になったと感じた。(演奏はちょっと雑になった感があったが・・)少なくとも博打で、しかも僕は敢えてリハーサル無しで望んだバラード(つまりいつもの山野修作とのデュオセッションっぽい感覚で挑んだ)を中国の観客は好意的に聴いてくれ、アップテンポやファンクの曲同様に拍手が返ってきたし、それはもう1曲のテナーサックス吉岡真をフューチャーしたバラードも同じだった。(特に彼の奏した「Body and Soul」は本当に素晴らしかった。)
善意で進んでステージでの通訳をしてくださった杭州貝肯景観工程有限公司のコウさんに頼んで最後の挨拶を北京語の通訳つきで行った僕は、日本のライブハウスでもなかなか得られない好意的で大きな拍手を聞きながら、大搗女史の感想と同じような国境も言語も生活習慣も越える音楽のパワーと、今更ながらその当事者である演奏者の幸せを認識した。