映画「パッション」
- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2004/12/23
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さて内容については驚くほどに新約聖書の記述に忠実であると感じた。取り立てて大きな誇張や脚色が無く、監督であるメル・ギブソンは敬虔な信者さんなんだろうなって事を感じた。(あとで調べたら事実そうらしい)ちなみに筋の上で新約聖書と違う点は多分2点で、ひとつは「マグダラのマリア」と「姦通の罪で捕えられた女」が同一人物としている点と、ゲッセマネに居るイエスをユダとともに捕えにいく人達がローマの兵士ではなくユダヤ教の関係者という点だけではなかろうか。
劇中の会話もラテン語とアラム語が使われたり、服飾や建築物に関しても当時を色濃く演出していてすばらしかった。
前の日記でも書いた通り、天の邪鬼体質の僕は宗教的なイエス・キリスト、すなわち神の子であり神そのものでもあるキリスト教の信仰の根幹をなすその人よりも歴史上の一人の人物としてのその人に以前から魅力を感じている。死海文書(死海写本)やナグ・ハマディ文書といった近代に発掘された古代キリスト教の遺物によっても歴史学的な宗教研究は進んでおり、そういった書籍もいくつも出版されている。宗教的な史観とは別の、人間として実在したイエスに考えを巡らせても彼の魅力は色褪せないし、またその行動と生き様は現代をもってしても強いメッセージを持っていると思う。
僕は歴史としての聖書のリアリティを再認識する事が、この映画の有効性だと思った。少なくとも僕は教会について連想すると豪華な建築物を思い出すし、カトリックを思えばバチカンを中心にシステマティックに構成された強固な組織を想像する。しかしそういったものが重要であるはずは無く、物質的なものとは全く逆の精神性こそがイエスの伝えたい事のはずだ。そういう一番の肝を僕に限らず現代の人は忘れているはずだ。
そういえば仏教の釈迦もボロボロの布を纏って荒野に住む痩せ細った人だったと何かに書いてあった。僕のイメージではお寺の住職というのは高価な袈裟を纏って高級ドイツ車に乗っている人だ。
ところで見終わった後で映画に関するウェブサイトをいろいろ見ていたら多分評論家の方と思うけど感想のコラムをブログに書いている人がいて考古学的には十字架の形がちがうだの、釘を打つのは手のひらでなくて手首でないといけないだの書いてあって、あげくの果てにはそういう考古学的配慮がされていないので、この映画はダメだって感じの事が書いてあった。なんだか映画を読み取れてないトホホな論評をよくも評論家ともあろう人が書いてるなと思った。昔のジャズ評論家にもこういう人多かったよなぁ。