はじまり

Blogを作ってみた。
とにかく書いてみる・・。えっと、なに書こうかな。某携帯ゲーム機のお陰ですっかり廃人状態になってしまった。ゲーム機やコンピュータが進化するのは嬉しい事だけど、それで人間性ってどんどん変わっていくんだろうなあ。
去年8月に中国のけっこう田舎町を回る機会があって、未発達で問題も多いのだろうけど現代の日本に失われたような素朴さを見ることが出来たのは、既に社会デビューの時に「新人類」とか「現代っ子」といわれた僕には新鮮だった。テクノロジーに縁遠いのが幸せとはもちろん思わないのだけど、今の社会が失ったものに大きな価値があることは、現在の社会が証明しているし、最近流行(?)の若年層の異常行動や多様化する凶悪犯罪のニュースをみるにつけ、昔とは人間の資質が変わってきたんだという事を自覚せずにはいられない。
ある幼稚園の教育方針の話だが、ゲーム機やテレビになるべく触れさせないで育てるように父兄にお達しが出る、そうする事が子供の情操を正しく育てるらしいのだ。そうやって子供たちには昔ながらの遊びを半ばカリキュラムとして実践させる。「こま回し」「竹馬」「木登り」それらが出来ない子供たちは落ちこぼれとなるわけだ。
僕は天邪鬼なのであえて反論してみる。じゃあそうやってずっとテクノロジーに触れさせないで、成長したときに同世代・大多数の人間が持ち合わせている一般的な素養と一致するのか?少なくとも僕らは個性の発達ではなく大衆性に一致するように教育されてきた。現代教育における一つのテーマが「個性を伸ばす」という事に変わったとは言ってもタテマエが変わったのであって、実際は大差無い様に感じるのは僕だけでないはずだ。第一、本当の個性を伸ばす教育を受けて来た者の中にどれだけ教職に就くものがいるのだろうか?教員の採用基準はむしろそういったものと相反するものだということを、僕は強く感じる。
もちろん、今やコンピュータを初め携帯ゲーム機でもハイレベルに実現しているバーチャルリアリズムなんて事が正しい人間性を破壊する大きな要因になることや、人格形成期となる幼児の頃にそういった実在しない現実と向き合うことが良くないことというのは判っているのだけど、それより避けることで問題を解決しようとすることは問題を先送りにしかして居ないという事を考えると、そういった中で如何にして逞しく人間を成長させるって事が大事なのじゃないかと思うのだ。
さて、子を育てるべき我ら「新人類」といわれた世代の親と言えば、最近ニュースの常連となった虐待事件などを数多く起こしているわけだ。人間の正しい成長は非常に困難な局面を迎えているのだな・・。

てことを、ゲーム廃人が書いても何の説得力もないわけだが・・・。